1922年(大正11年)に「小学女生」で発表された「赤い靴はいてた 女の子~」で始まる童謡です。野口雨情の作品の中でも大変有名なもので、どこかミステリアスな感じのする歌詞と陰鬱なメロディーは童謡には似つかわしくないものです。
異人さんに連れられてどこかへ行ってしまうという怖い話ですが、この歌詞は野口雨情と親交のあった「岩崎かよ」という女性から伝え聞いた実話がモデルになったと言われています。「かよ」はいわゆる未婚の母で「きみ」という女の子をもうけ、「きみ」が3歳のとき故郷の静岡市から北海道へ入植しました。しかし開拓生活の厳しさから「きみ」に十分なことをしてやれず、思い悩んだ結果、「きみ」を養女としてアメリカ人宣教師のヒューエット夫妻に託すことになります。「かよ」は「きみ」と別れた後、ヒューエット夫妻と一緒にアメリカに渡ったものと思い込んでいましたが、実際には結核を患って連れて行くことができず、東京・麻布の孤児院に残されたまま9歳でこの世を去ってしまいます。そのことを「かよ」は一生知ることがありませんでした。「赤い靴」にはそんなわが子が異国の地で幸せに暮らしていてくれることを願った母の切実な思いが込められているのでしょう。
異人さんに連れられてどこかへ行ってしまうという怖い話ですが、この歌詞は野口雨情と親交のあった「岩崎かよ」という女性から伝え聞いた実話がモデルになったと言われています。「かよ」はいわゆる未婚の母で「きみ」という女の子をもうけ、「きみ」が3歳のとき故郷の静岡市から北海道へ入植しました。しかし開拓生活の厳しさから「きみ」に十分なことをしてやれず、思い悩んだ結果、「きみ」を養女としてアメリカ人宣教師のヒューエット夫妻に託すことになります。「かよ」は「きみ」と別れた後、ヒューエット夫妻と一緒にアメリカに渡ったものと思い込んでいましたが、実際には結核を患って連れて行くことができず、東京・麻布の孤児院に残されたまま9歳でこの世を去ってしまいます。そのことを「かよ」は一生知ることがありませんでした。「赤い靴」にはそんなわが子が異国の地で幸せに暮らしていてくれることを願った母の切実な思いが込められているのでしょう。