北原白秋と山田耕筰のコンビによる作品で、1924年(大正13年)に満州唱歌として発表されました。詞の内容は中国の思想書『韓非子』の中にある「守株待兔」という逸話を題材にしたもので、おおよそのストーリーは次のようなものです。
真面目に働いていた一人の百姓がいました。ある日、彼の畑の片隅にあった切り株に偶然兎がぶつかって頸の骨を折って死にました。百姓は思わぬ獲物に喜び、それに味をしめて次の日からは畑仕事を放り出して来る日も来る日も兎がぶつかるのを待ち続けました。しかし待てど暮らせど兎は二度と来ませんでした。そのうちに畑は荒れ果てて二度と作物が実らなくなってしまい、国中の笑い者になりました。
北原白秋はこの逸話をおもしろおかしくユーモラスに描いています。曲調もどこかおどけた感じが漂っています。もともとは「いつまでも古い習慣に固執して全く進歩がないこと」を戒める政治的な教訓でしたが、滅私奉公が尊ばれた当時の日本では「偶然の幸運をあてにして楽して金儲けするな」という意味で使われたようです。
楽譜には巻末に歌詞を付けてあります。
真面目に働いていた一人の百姓がいました。ある日、彼の畑の片隅にあった切り株に偶然兎がぶつかって頸の骨を折って死にました。百姓は思わぬ獲物に喜び、それに味をしめて次の日からは畑仕事を放り出して来る日も来る日も兎がぶつかるのを待ち続けました。しかし待てど暮らせど兎は二度と来ませんでした。そのうちに畑は荒れ果てて二度と作物が実らなくなってしまい、国中の笑い者になりました。
北原白秋はこの逸話をおもしろおかしくユーモラスに描いています。曲調もどこかおどけた感じが漂っています。もともとは「いつまでも古い習慣に固執して全く進歩がないこと」を戒める政治的な教訓でしたが、滅私奉公が尊ばれた当時の日本では「偶然の幸運をあてにして楽して金儲けするな」という意味で使われたようです。
楽譜には巻末に歌詞を付けてあります。